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「鬼の副長」のイメージとは裏腹に、俳句も嗜んだと言わている土方歳三。
「豊玉」という俳号と、「豊玉発句集」という俳句集が残されています。
無類の剣の強さに加えて「俳句を嗜む」という粋っぷり。残された写真からも判るとおりのイケメンで、身長も高かったと言われています。
モテ要素しか満載の人物像ですが、実際の人物像はどうだったのでしょうか?
残されているイケメンエピソードなどからその素顔に迫りたいと思います。
Contents
土方歳三の身長は”166.65cm”だった?
新撰組の有力な後援者と言えば土方歳三の姉が嫁いだ日野宿名主・佐藤彦五郎が有名ですが、もう一人、小島鹿之助という人物が居ます。この人も歳三の遠縁にあたり、天然理心流の門弟です。佐藤彦五郎同様名主を務め、佐藤彦五郎とは義兄弟の契りを交わしていたとも言われています。
この人が近藤・土方の事跡を書き綴った「両雄士伝」「両雄士伝補遺」という書物が残されています。このなかに土方歳三の身長について「身丈五尺五寸」と書かれています。
一尺は約30.3cm、一寸は約3.03cmですので、五尺五寸というと約166.65cmとなりますね。あまり高身長では無い印象を受けてしまいがちですが、当時の男性の平均身長は155cmあまりです。そこから考えると「高身長」と言っていいと思います。
ちなみに新撰組は結構な高身長揃いだったようです。
近藤勇は土方歳三より少し小さいくらいの「五尺三四寸(約163cmほど)」、沖田総司は土方歳三と同じ背丈だったと言われています。なかには斉藤一や島田魁のように180cmはあったと言われている隊士も居ます。平均身長155cmの時代の180cmですから、かなりな大男ですよね。
剣術は一般的に背が高い方が有利と言われています。
幕末最強の剣客集団と言われた新撰組ですが、その強さの秘密はこういうところにもあったのかも知れませんね。
イケメンで俳句も詠んだとされる土方歳三
土方歳三の生涯
土方歳三は今の東京都日野市の農家に生まれます。
幼い頃は手のつけられない悪童で、奉公に出された先で問題を起こし実家に帰されたりしています。
その後は家業の薬売りをしながら剣術修行に励み、新撰組が結成されると局長・近藤勇を補佐する副長に就任します。
「局中法度」と呼ばれる鉄の掟や組織作りは殆ど土方歳三の手によるものと伝えられており、新撰組を強くする為なら例え味方であっても容赦なく罰するなどしたことから「鬼の副長」と呼ばれます。
徳川幕府が崩壊した後も幕府方として戦い続け、まさに「リアル・ラストサムライ」として函館で戦死、享年35歳でした。
容姿もイケメンだった土方歳三ですがそれ以上に…
土方歳三は函館で撮った写真が現存しています。「役者のような優男」と言われたとおり、現代でも十分に通じるイケメンっぷりが伺えます。
実際に土方歳三は女性にも良くモテていたらしく、先ほどの小島鹿之助宛にモテている事を自慢する手紙を送ったりしています。しかも、2通も。
1通目は自分のことを好きな女性の名前をずらりと書き連ね、「弱い」と思ったのでしょうか、2通目はその女性達から送られたラブレターの束を送ったりしています。きちんと物証までつけて「ほら、ウソじゃないだろ?」と自慢したかったんですかね。
「部屋に入るとさわやかな風が吹くようだった」とも言われていたイケメン土方歳三ですが、格好いいのはその容姿だけではありませんでした。
土方歳三は鳥羽伏見で負け、甲州勝沼で負け、会津で負けても最後の最後まで徳川幕府に忠誠を尽くして戦い続けます。流山で盟友・近藤勇が官軍に投降してしまった後も、「近藤の分まで」とばかりに戦い続けます。
遠く函館まで戦い続け、最後は函館一本木関門付近で35歳の激烈な生涯を閉じます。函館政府の総裁や奉行といった要職メンバーの中で、戦死したのは土方歳三ただ一人でした。
土方歳三の故郷、日野の高幡不動には近藤・土方を称える「殉節両雄之碑」という碑文が残されています。
当初碑文の原文作成は徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜に依頼されました。
徳川家の家令(執事)となっていた小栗尚三に原文作成を依頼された徳川慶喜は「近藤、土方か」と呟くと落涙するばかりで書くとも書かないとも返答が無かったと言います。元々徳川家の家臣でもなく、ただの農民に過ぎなかった二人が自分の為に文字通り粉骨砕身の働きをし、最後は二人とも自分の為に命まで落としたというその事実の前に、徳川慶喜もただただ感激するのみで答えられなかったのでしょう。
ちなみに、碑文は旧京都守護職・会津藩主松平容保に依頼され、容保が書き上げています。
己の信念に殉じ、行きがかり上とは言え縁が深くなった徳川家を最後の最後まで裏切ることなく戦い続けた土方歳三。その生き方こそが、「格好いい」と言えるのでは無いでしょうか。
俳句も好んだされる土方歳三。その腕前は…?
背の高いイケメンで女性にもモテモテ、剣の腕は凄腕で組織を率いても抜群の働きをするというまさに「完璧超人」と言ってもいい土方歳三ですが、そんな歳三にも弱点はありました。
俳句の腕前です。
土方歳三は「豊玉」という俳号を用い、「豊玉発句集」という俳句集を残していますが、その腕前はというと、プロの方から見れば「お世辞にも上手いとは言えない」というレベルだということです。
豊玉発句集には全部で41の俳句が記されていますが、その中からいくつかをご紹介しましょう。
・知れば迷い 知らねば迷わぬ 恋の道
・人の世の ものとは見えず 梅の花
・梅の花 一輪咲いても 梅は梅
俳句には全然詳しくは無いですが、素人目で見ても技巧に秀でた作品では無いような気がしますね。
おわりに:土方歳三はお茶目なイケメンだったようです
如何でしたでしょうか?
剣の腕に優れ、「鬼」と呼ばれた土方歳三ですが、故郷にラブレターを自慢したり下手な俳句を書いてみたりとなかなかお茶目な一面もあったようですね。
鬼の一面と、その裏腹なお茶目な面、そして何より最後まで忠誠を尽くすという生き様。土方歳三の時代を越えるモテっぷりはこういうところにも理由があるのかも知れませんね。