日本史の偉人

土方歳三の死因は「腹部への被弾」って本当?【ストーリー仕立てで紹介】

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新撰組「鬼の副長」として京の巷を朱に染め、幕府瓦解後も江戸から東北各地を転戦し、函館まで戦い抜いた土方歳三。己の信念に殉じ、函館の地で壮烈な最期を遂げたその姿はまさに「リアル・ラストサムライ」と言っても過言ではありません。

そんな土方歳三の死因をご存知でしょうか?

函館五稜郭から出陣した土方歳三は一本木関門あたりで敵の銃弾に倒れたとされ、実はその死因は「腹部への被弾」とされています。

そんな土方歳三の最後の姿の詳細をご紹介します。

新撰組・土方歳三の死因は「腹部への被弾」?

土方歳三最後の戦い 北海道199日

五稜郭から最後の戦いへと出陣した土方歳三。
その姿を小説「燃えよ剣」ではこう描いています。

「俺は函館へゆく。恐らく再び五稜郭には帰るまい。世に生き飽きたものだけはついて来い」

小説『燃えよ剣』より

死を覚悟した歳三の最後の戦い、その姿を順を追ってみてみましょう。

【命日は明治2年5月11日】土方歳三、最期の一日が始まる

榎本武揚率いる函館政府軍は官軍の上陸を許した後追い詰められ、残る拠点は五稜郭の他、元浦賀奉行所与力・中島三郎助が率いる千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岱陣屋、津軽陣屋とも)、島田魁・相馬主計ら新撰組本隊が立て篭もる弁天台場の3箇所と、五稜郭より更に北方の四稜郭、権現台場のみとなっていました。

特に弁天台場は函館湾に突き出した形になっており、本営の五稜郭とは函館市内を通らないと辿り着けない形となっています。

運命の5月11日。新政府軍は函館総攻撃を開始します。

新政府軍は11日未明、函館市内を見下ろす函館山の裏側に密かに上陸、夜明けまでに函館山の占領に成功します。

函館陥落、弁天台場孤立

ちょうど夜明け頃に函館山の占領を終えた新政府軍に対し、函館政府軍の函館奉行・永井尚志は弁天台場に入り守備を固め、一隊を派遣して函館山の奪還を目指します。

しかし、山頂からの攻撃は圧倒的な上、函館湾に停泊している新政府軍艦隊からの艦砲射撃もあり、函館山奪還はあえなく失敗に終わります。

弁天台場に残された新撰組本隊とわずかな兵以外は瞬く間に一本気関門まで後退、更に五稜郭まで後退してしまいます。

勢いを増す新政府軍は午前11時頃までに函館市内を完全に制圧、勢いに乗って一本木関門付近まで進出を開始します。

土方歳三、最期の地へ出陣

函館市内が陥落した時、土方歳三は五稜郭内に居たと想像されます。
出陣に当たって榎本武揚らとどういう会話が為されたかは記録に残されておりません。
が、敗走してきた兵士から「函館陥落、弁天台場孤立」の報は聞いたでしょう。

孤立した弁天台場には京都から苦楽を共にした島田魁・相馬主計ら新撰組本隊が居ます。
当然、このまま見捨てる訳には行きません。
歳三は函館奪還・弁天台場救出を目指し、500名の兵を引き連れて五稜郭を出陣します。

さすがは音に聞こえた戦さ上手、歳三率いる500名は新政府軍を一本木関門から函館市内異国橋付近(現在の市電十字街電停付近)まで押し戻します。

しかし、それもつかの間。兵力に勝る新政府軍は徐々に勢いを盛り返し、歳三率いる500名の軍は撤退戦を余儀なくされます。

土方歳三、最期の勇姿…!

出典:日本の歴史ガイド~日本のお城 城跡 史跡 幕末~

一本木関門付近まで退いた歳三ですが、この時函館政府軍に思いがけない幸運がもたらされます。函館政府軍の軍艦「蟠龍」の砲撃が新政府軍の軍艦「朝陽」を捉え、轟沈させたのです。

「まさに勝機」

そう捉えた歳三は、自らは一本木関門を支えつつ、陸軍奉行添役だった大野右仲に命じて一隊を率いさせ、弁天台場方面への進撃を命じます。
函館政府軍側は敗走兵が続出していましたが、大野は「土方が敗走兵を必ず一本木関門で食い止めてくれる」と信じていたと言います。

「我、この柵にありて、退く者を斬る」

記録に残された土方歳三の最後の言葉がこれです。
大野右仲を突撃させた後、歳三は銃弾降りしきる一本木関門にて馬上仁王立ち、白刃を肩に担いで凄まじく指揮をしたと伝えられます。

その歳三めがけて放たれた新政府軍の銃弾。そのうちの一つが歳三の腹部に被弾し、歳三はもんどりうって落馬、そのまま息を引き取ったと伝えられています…。




土方歳三、死因の異説

実は土方歳三の死因にはいくつかの異説もあります。

一つは、「味方に討たれた」とする説です。
後退することを禁じ、前進を命じる歳三に対して激怒した味方兵士が撃ったとする説ですが、信憑性は低いと思われます。

歳三は函館政府軍では殆ど唯一と言っていい「常勝将軍」で「土方さんが居れば必ず勝つ」と兵の信頼も厚かったですし、函館まで戦い抜いてきた男たちは大なり小なり死を覚悟していると思います。命令が厳しすぎるからといって「軍神」土方歳三を撃つような真似はしないと思います。

もう一つは、大野右仲を突撃させる前に既に被弾していたとする説です。
腹部への被弾という事は、どちらかと言うと即死ではなく失血死の可能性が高いと思われます。
心臓や頭部であれば「即死」というのは判りますが、腹部への被弾で「即死」というのはちょっと疑問符がつきます。

実は腹に銃弾を食らっていながら、大野右仲が弁天台場の仲間達(新撰組本隊)を救出してくれる事を望み、大野右仲や新撰組本隊が安全に五稜郭まで退却するのを見届けるまで、一本木関門を死守する。

それが歳三最後の望みであり、無念にもその望みが叶う前に力尽きてしまった。

この「異説」の方が、何やら歳三の最期に相応しいような気もします。

土方歳三の遺体はどうなった?

一本木関門で戦死した歳三。その遺体はどうなったのでしょうか?
結論から言えば、遺体は見つかっておりません。

従者が持ち帰って五稜郭に埋めた等諸説ありますが、そのなかに面白い説があります。

土方歳三を撃ったのは新政府軍・松前藩八番隊長だった「米田(まいた)幸治」という人物で、狙撃後銃撃戦が落ち着いた頃に遺体を確認しに行くと、首が無い胴体だけ残されており、その上着をめくってみると「土方」の文字があった、という口伝です。
この口伝は米田家に代々伝わっており、米田幸治の曾孫にあたる北大名誉教授・米田義昭氏が「真偽の程は定かではないが曾祖父・祖父・父と伝わった話だ」と明らかにされています。

この話しが本当だとすると、胴体は恐らくそのまま置き去りにされ、函館戦争終結後に近くの寺に埋葬、首は函館政府軍の誰か、恐らく歳三の戦死の場に居合わせた立川主税か安富才助(いずれも新撰組隊士)、沢忠助(馬丁)あたりが五稜郭に持ち帰って埋葬したものと思われます。

米田幸治は歳三戦死の当日一本木関門に出向いている記録が残っているといいます。
もしかしたらこれが真実かも知れません。

土方歳三のお墓はどこにある?

土方歳三の墓は東京・日野市の石田寺(せきでんじ)にあります。

出典:新選組のふるさと日野 日野市観光協会

他にも高幡不動尊に位牌があったり、会津天寧寺や函館称名寺に墓や供養費があったりしますが、石田寺は土方家代々の菩提寺ですので、ここを「お墓」を言って差し支えないかと思います。市村鉄之助が愛刀・和泉守兼定と共に遺髪を持ち帰っていますが、その一部も埋葬されているかも知れませんね。

石田寺の墓は長く遺体の無い墓でしたが、2005年に土方家子孫の方が函館を訪れ、埋葬地と言われている5箇所の土を持ち帰り、納めました。実に100年以上も経ってようやく土方歳三は故郷に帰れたという事になる訳です。




おわりに:「土方歳三の死因」には諸説ありますが…

函館で戦死したことは確実ですが、その死因や遺体の行方などまだまだ明らかになっていない土方歳三の最後について調べてみました。

この先研究が進むにつれ、新たな事実が出てくるかも知れません。
が、土方歳三の最期は謎のままの方がロマンがあるのかも知れません。

小説「燃えよ剣」では歳三の最期をこう記しています。
単騎、敵の頭上を片手斬りで左右をなぎ倒しつつ進む歳三の姿を「鬼としかいいようがない」と伝え、やがて歳三を囲んだ長州部隊の士官が「いずれへ参られる」と問います。「参謀府へゆく」と答えた歳三に、更に士官は「名は何と申される」と問いかけます。

「名か」
歳三はちょっと考えた。しかし函館政府の陸軍奉行、とはどういうわけか名乗りたくはなかった。
「新撰組副長土方歳三」
といったとき、官軍は白昼に竜が蛇行するのを見たほどに仰天した。

これは完全に作者・司馬遼太郎氏のフィクションではありますが、これほどロマンに満ち、かつ「土方歳三像」に合う最期も無いでしょう。

研究が進んで最期が明らかになるのは楽しみではありますが、個々人の頭にある「土方歳三らしい最期」が無くなってしまうのは、それはそれで悲しくもありますね。

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