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壬生浪士組・頭取にして新撰組初代筆頭局長・芹沢鴨。
水戸天狗党の生き残りで、豪胆無比な人物と伝わります。最後は近藤勇を始めとする試衛館一派の手によって粛清され命を落としますが、初期新撰組の名を上げたのは間違いなくこの人物です。
その芹沢鴨が残した「名言」について、史実のものや劇中のもの合わせて解説と共に紹介していきます。
芹沢鴨の名言①:その心意気や良し
「尽忠報国之士芹沢鴨」
芹沢鴨
正確には芹沢鴨が吐いた言葉ではありません。芹沢鴨が愛用していた鉄扇に刻まれていた文字です。
水戸黄門の名で知られる第二代水戸藩藩主徳川光圀以来の伝統で勤王の思想が篤い水戸に生まれた芹沢鴨。天狗党の乱に参加して以降、京都壬生の前川屋敷で命を落とすまで一貫して「忠を尽くして国に報いる」をモットーとしていたのでしょう。
惜しむらくは、酒乱が気があり、酒に酔うと常軌を逸してしまう事でした。
もし芹沢鴨が酒を断っていれば、新撰組はどうなっていたのでしょうか。試衛館一派に粛清されることなく生き永らえた芹沢鴨の「尽忠報国」の行く末を、もう少し見てみたかったものです。
芹沢鴨の名言②:意外に天真爛漫?
「俺だ、俺だ」
芹沢鴨
酒乱の気もあることから「手のつけられない暴れん坊」というイメージが強い芹沢鴨ですが、意外にも子供達には好かれていたという話も残されています。
新撰組が宿舎としていた八木家では、よく隊士が酔っ払って手当たり次第辺りの物に斬りつけるなどしていました。
芹沢鴨も、八木家から借りた火鉢をこっそり返そうとした時、火鉢に刀傷があった事を問い質されます。
その時、芹沢鴨は上記の言葉を発し、頭をかいて逃げてしまったと言います。
四六時中酒に酔って暴れてたと言われる芹沢鴨ですが、案外その根は正直で気の優しい人物だったのではないでしょうか。このエピソードからはそういった芹沢鴨の違う一面を見せてくれているような気がします。
芹沢鴨の名言③:維新の魁
「雪霜に 色よく花の咲きがけて 散りても後に 匂ふ梅が香」
芹沢鴨
芹沢鴨の辞世の句と伝わります。現代文に意訳するなら、「梅の花は他の花に先駆けて、雪や霜の季節に咲く。一番最初に咲いて散りながら、散った後も一番最後まで匂いを残すのも梅の花だ」というところでしょうか。
芹沢鴨は水戸の出身です。水戸には「偕楽園」という梅の名所があります。辞世の句に出てくる「梅」、偕楽園の梅になぞらえて水戸出身の自分自身を表したのではないでしょうか。
世の中の大半が太平に眠っている「雪霜の季節」から天狗党の一員として国に報い、志半ばで真っ先に散ることになるが、さりとて自分のやった事は強烈な「匂い」として後の世まで残る。
芹沢鴨が辞世の句で残したかったことは、こういうことでは無かったのでしょうか。
芹沢鴨の名言④:自分を越えて行け
「鬼になれよ、近藤。鬼になって、俺を食っちまえよ。遠慮はいらねぇよ。」
NHK大河ドラマ「新選組!」より
大河ドラマ「新選組!」では佐藤浩市さんが芹沢鴨を演じていました。
ドラマのなかでは、芹沢鴨は土方歳三・山南敬助を中心とした試衛館一派が自分を殺そうとしており、近藤はまだ迷っている事を察知している風に描かれています。
自分を殺す事を躊躇っている近藤勇に対し、「自分を乗り越えろ」と告げる芹沢鴨。自分を倒してその屍を越えて行け、そうでなければこの混沌とした時代を乗り切れることは出来ないと告げたかったのでしょう。
史実の芹沢鴨と比べ、やや格好良すぎるような気もしないではないですが、佐藤浩市さんの芹沢鴨は「さもありなん」と思える雰囲気満載でした。
劇中における芹沢鴨のセリフで一番ぐっと来たセリフです。
おわりに:芹沢鴨の名言、いかがでしたか?
芹沢鴨の名言、如何でしたでしょうか。
芹沢鴨は新撰組発足時の最重要人物でありながら、全盛期を迎える前にこの世を去ってしまった為、あまり知名度は高くありません。
ですが、残された言葉や史実を見れば、やはり天狗党時代からの歴戦の勇士であり、ひとかどの人物であった事が伺えます。
「時代の徒花」とも言える新撰組。
そのなかで、もっとも「徒花」の名が似合うのが芹沢鴨だったのかも知れません。