日本史の偉人

東郷平八郎の名言3選【半世紀を戦い抜いた日本最高の提督】

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「世界三大提督」と呼ばれる3名をご存じですか?

イギリスのホレーショ・ネルソン、
アメリカのジョン・ポール・ジョーンズ。

そして、日本の東郷平八郎。
日本海海戦で勇名を馳せた日本史上最高の提督です。

今回はそんな東郷平八郎の名言を辿り、その根本に潜む人生観を探ってみます。

東郷平八郎の生涯や人物像

東郷平八郎

東郷平八郎は1848年、薩摩藩士の東郷実友の三男として産まれます。
14歳の時に薩摩藩士として薩英戦争に従軍、初陣を飾り、以降一貫して海軍畑を進みました。

戊辰戦争においては春日丸に乗り込み、阿波沖海戦、宮古湾海戦、函館戦争と戊辰戦役における重要な海戦の殆どに参加しています。

戊辰後、海軍士官となりイギリス留学を経て日清戦争に従軍、緒戦から「浪速」の館長として活躍します。

東郷平八郎の名を不朽のものとしたのは日露戦争です。

日露戦争時、旗艦三笠を乗艦とし、連合艦隊司令長官に就任、黄海海戦や旅順港閉塞作戦を指揮します。
東郷が連合艦隊司令長官に就任する際、何人かの候補から東郷の推薦を受けた明治天皇が「なぜ東郷を選んだのか」と質問し、時の海軍大臣・山本権兵衛が「実力は皆甲乙つけがたいが、東郷のみは運のつきが良い男である」と答えたという逸話が残ります。

東郷はその期待に見事に応えます。

日露戦争の「海の天王山」と言っていい日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊を相手に奮闘、敵艦の目前で大回頭をするという前代未聞の戦術「トーゴー・ターン」を敢然と実行してバルチック艦隊を壊滅させ、敵将ロジェストヴェンスキー中将を捕虜にするという空前絶後の戦果を挙げます。

「アドミラル・トーゴー」の名はトーゴー・ターンとバルチック艦隊壊滅のニュースと共に世界中に伝えられ、当時ロシアの圧力に同じように苦しんでいたオスマン帝国(現在のトルコ)では国民的英雄となり、子供の名前に「トーゴー」と名付ける者も出現したと伝えられています。

冷静沈着な判断力と果断極まる決断力を併せ持ち、天運にも恵まれた日本史上最高の提督・東郷平八郎。

その東郷が残した名言とは如何なるものだったのでしょうか。

東郷平八郎の名言集

東郷平八郎にまつわる、以下の3つの名言を順番に解説していきます。

  1. 皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ
  2. 百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得る
  3. 古人曰く勝って兜の緒を締めよ、と

東郷平八郎の名言①:「目的」を明らかに

皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ

日本海海戦開戦に当たって旗艦三笠のマストに翻ったZ旗(国際信号旗の一つ)。

Z旗を掲げた場合の信号文はこの一文だと事前に取り決められていました。
この一文は秋山真之が起草したとも加藤友三郎が立案したとも言われていますが、「この一文を用いる」と決断したのは東郷平八郎ですので、東郷の名言と言ってもいいでしょう。
実際に「平八郎書」と書かれた「皇国興廃在此一戦 各員一層奮励努力(原文ママ)」の指令文が残されています。

「我らが父祖の国、大日本帝国の興亡はこの一戦にかかっている。乗組員全員、より一層気力を奮い起こして努めよ」という意味です。

何かの仕事を仕掛ける際にその目的を明らかにするのは非常に重要な事です。
命を賭けた戦場なら尚更の事。

東郷はこの短い言葉の中にその意味を全て込め、戦いの前にその配下全員に改めて「目的」を明らかにした上で戦いに挑ませたという訳です。

実際、この言葉を聞いた乗組員の中には「この戦いに負けたら日本が蹂躙されてしまうのだ、と涙が止まらなかった」という感想を残している者も居ます。

乗組員全員が目的を理解し、意識統一を図れたということ、これも日本海海戦の奇跡的な完勝の要因の一つでしょう。
「何故この仕事を一生懸命やらなければいけないのか」と意識付けをするのは現代の我々の仕事にも必須の事項であり、この一文はその非常に良い事例と捉える事が出来ると思います。




東郷平八郎の名言②:努力を怠るな

百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得る

見事日露戦争に勝利を収め、首尾よく解散の時を迎える事となった連合艦隊。
その連合艦隊解散式に寄せた「連合艦隊解散の辞」で東郷平八郎が述べた言葉です。

意味を物凄く簡単に言うと「全く当たらない大砲の数を揃えても仕方ない。大砲は当ててこそ大砲。数に頼ることなく常日頃から“当てる訓練”を怠るな」ということになります。

これを確率論で捉えて「確率的に一門より百門の方が強いでしょ」などというのは野暮の極み。日本海海戦を実地で経験し、死線を乗り越えた東郷平八郎がそんな野暮な事を言うはずがありません。

日本海海戦での勝利の一因は兵の錬度の差にもありました。
バルチック艦隊は長い航海を経ているのはあまり砲戦の訓練は出来ていませんでしたが、連合艦隊はバルチック艦隊が来るまでに嫌と言うほど訓練を積んでいました。
この差がそのまま実戦時の命中率の差にも表れたと言われています。

戦争における重大な勝因は物量に有りというのはもちろん常識ですが、東郷が言いたかったのは「物量を揃えるのは基本中の基本だが、その物量に甘えて胡坐をかいてはいけない」という事だったと私は思います。

残念ながら後の大日本帝国海軍はこの意味を履き違えてしまい、「物量で劣っていても一発必中の技を持っていれば勝てる」という誤った精神論にもっていってしまいますが、薩英戦争・戊辰戦争から幾度となく死線を潜り抜けた東郷がそんな精神論を吐くはずが無いと思ってしまいます。

「日頃から努力を怠るな」

これこそが、東郷が言いたかったことなのでは無いでしょうか。

東郷平八郎の名言③:慢心は最大の敵

古人曰く勝って兜の緒を締めよ、と

これも同じく「連合艦隊解散の辞」で東郷平八郎が述べた言葉です。東郷自身も「古人曰く」と述べているとおり、この言葉自体は東郷のオリジナルでは有りません。

この言葉を最初に言ったのは北条氏綱であると言われています。有名な北条早雲の二代目であり、後に関東の覇権を握り「相模の獅子」と謡われた北条氏康の父親ですね。この氏綱が息子氏康に残した訓戒の言葉だと言われています。

東郷は「連合艦隊解散の辞」で、繰り返し繰り返し平時からの備えこそが重要であるという事を訴えています。
日本海海戦で古今未曾有の完勝を得たからと言って、決して日頃の訓練を疎かにする事が無いようにという事こそ、「解散」の時に当たって東郷が最も訴えたい事では無かったでしょうか。

「武人の一生は戦いの連続」と訴え、「その責任は平時であれ戦時で、その時々によって重くなったり軽くなったりするものでは無い」と訴えます。
武人が太平に安心して目の前の安楽を追ってしまえば、以下に装備が整っていようともそれはあたかも砂上の楼閣である、と訴えます。

勝ったからと言って、それに胡坐をかいて慢心するな。いつかまた来る有事に備えてひたすら奮励努力しておけ。そうすれば、次の有事にも安心して挑める事が出来る。

東郷は「兵器装備を整えるのは当たり前だが、その兵器装備を動かすのは人の手である。上手く運用出来るかどうかは動かす人の日頃の訓練にかかっている」という事を熟知していたのでしょう。前項でご紹介した「百発百中の一砲」も同じ事です。

如何に技術が進歩しようとも、人の心は永遠にアナログです。
デジタルのように「はい、戦争!」と言ってゼロイチでスイッチが入る訳ではありません

数多の戦場を駆け抜けた東郷はこの当たり前の事実を身に染みて判っており、「有事の際に慌てふためかないように、慢心をする事なく日頃から備えよ」という事を繰り返し同じ言葉で訓戒し、最後に「勝って兜の緒を締めよ」という馴染み深い古来からの諺を用いてその「辞」を締めたのではないでしょうか。




おわりに:東郷平八郎の名言はいかがでしたか?

1862年に薩英戦争で初陣を飾って以来、1905年の日本海海戦まで43年という長きに渡って幾多の海戦を戦った東郷平八郎。まさに「半世紀の武人」と言っていい存在であり、その残した言葉はどれも実戦で苦労を重ねた経験から生み出されたものです。

晩年は神格化されてしまい、心ならずも今で言う老害のような存在になってしまったとも言われる東郷平八郎ですが、薩英戦争から日露戦争までの数々の戦功が色褪せる事はなく、その言葉もまた色褪せるものではありません。

「慢心するな」

半世紀の武人・東郷平八郎の教えてくれる言葉は、今の我々の生活においても十分に参考になるものだと改めて思い至ります。